◆ 目次 ◆ ———————————————————————-
(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 子どもから学ぶこと
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◇ 所長だより ◇
リフレクションによる授業研究
教職教育開発センター所長 吉崎静夫
今月は、授業研究の方法として、「リフレクションによる授業研究」を取り上げます。
澤本和子らによれば、「教師が自分の教育実践の振り返りをとおして、自己の教育実践上の弱点とよさを自覚し、力量形成を実現する」ことが、リフレクションによる授業研究の目的です。そこでは、「いつもの自分とちょっと距離を置いて自分を見る」ことがポイントとなります。つまり、教師にとっては、リフレクション(振り返り)から得た「気づき」は、外部から指摘された評価や指導のことばよりも、自分で「そうだったのか」と納得しやすく、実践的知識として教師の内面に蓄積し利用しやすくなるからです。
澤本らは、授業リフレクションの方法として、「自己リフレクション」「対話的リフレクション」「集団的リフレクション」の三つを提案しています。
まず、「自己リフレクション(セルフ・リフレクション)」は、「自分の授業を第三者にもわかるように的確に記述し、自分の授業実践の意義や問題点を明らかにする。これを内省的に自己内対話で進める」方法です。次に、「対話的リフレクション」は、「授業者が一人ないし二人の相手と徹底的に討議する」方法です。そこでは、話し合いは焦点化されて、より深く授業の姿を浮き彫りにできるなど、次の「集団的リフレクション」とはひと味違ったものになります。さらに、「集団的リフレクション」は、「授業者が用意した資料にもとづいて、授業研究会での話し合いを中心に行われる」方法です。そこでは、さまざまな考え方や見方をする複数の参加者が授業者の気づかなかったことを言及してくれることが最大のメリットとなります。
なお、「討議的リフレクション」や「集団的リフレクション」での話し合いを経て、授業者は再度自分の授業実践を見直し、考察する「自己リフレクション」に戻ることが大切であると、澤本らは指摘しています。
ところで、ショーンは、「実践者は実践している最中にも実践についてリフレクションする」ことを指摘しています。それが、reflection in actionです。もちろん、実践者は、実践後にゆっくりと自らの実践をリフレクションします。それが、reflection on actionです。ショーンは、このように2種類のリフレクションを取り上げて、新しい専門家の概念をreflective practitioner(反省的実践家)として表現しています。
(文献)澤本和子・お茶の水国語研究会(1996)『わかる・楽しい説明文授業の創造―授業リフレクション研究のススメー』東洋館出版 Donald A. Schon(1983) The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action. Basic Books. (佐藤学・秋田喜代美[訳]『専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001)
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◇ 教育時事アラカルト ◇
休憩時間の事故リスク
教職教育開発センター教授 坂田 仰
子どもたちは何時も元気である。寒い冬の日も,授業終了のチャイムと共に,グランドに飛び出し,若いエネルギーを発散する。しかし,休憩時間は,教員の目が行き届き難い。子ども同士の遊びの中にも学びの重要な機会があると考えながらも,事故を心配する自分(教員)がいる。
(独)日本スポーツ振興センターによれば,平成23年度の障害見舞金給付件数は,小学校49件,中学校91件,高等学校232件である。このうち,「休憩時間」に発生したものは,小学校27件(55.1%),中学校31件(34.0%),高等学校33件(14.2%)となっている。小中学校においては,休憩時間の占める割合が最も高く,特に小学校では5割を超えていることに留意する必要があろう。
例えば,体育館で遊んでいた児童同士が衝突し,訴訟に発展した事案がある(甲府地方裁判所判決平成15年11月4日)。この小学校では,「雨の日,放課後及び朝」は,児童のみで体育館を使用してよいというルールを設けていた。事故当日は雨であり,教員が立ち会っていなかった。訴訟において,児童側は,子どもだけで体育館を使用させた学校側の危機管理意識の低さを厳しく追及した。これに対し学校側は,教員の不足,多忙さを理由に反論している。だが判決はこれを退け,「児童のみでの体育館の使用を禁止することだけが事故防止のための唯一の方策ではなく」,「厳しい使用基準を定めた上で児童に対する指導を徹底するという方策も考えられる」としたのである。
教員の立ち会いは,事故防止に効果がある。これは確かである。しかし必ずしも絶対的というわけではない。仮に教員が立ち会っていたとしても,一定の事故の発生は不可避である。そのリスクを少しでも引き下げるためには,同時に子どもの安全教育の充実を図っていかなければならない。結局のところ,休憩時間中の事故防止に関しては,体育館・校庭等の使用基準や遊びのルールを定めた上で,単なる立ち会いではなく,児童生徒に対する“実質的”な指導を徹底していたかどうかが重要となる。
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◇ 子どもから学ぶこと ◇
特別活動「クラブ・委員会」
教職教育開発センター客員研究員 木村俊彦
12月から取り上げてきた特別活動編の最後は、「クラブ・委員会」活動(小学校)についてです。以下に、それぞれの目標を指導要領より抜粋しました。
(児童会活動)
児童会活動を通して、望ましい人間関係を形成し、集団の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し、協力して諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度を育てる。
(クラブ活動)
クラブ活動を通して、望ましい人間関係を形成し、個性の伸長を図り、集団の一員として協力してよりよいクラブづくりに参画しようとする自主的、実践的な態度を育てる。
(委員会活動)
学校内の自分たちの仕事を分担処理するための活動である。主として高学年の全児童が、いくつかの委員会に分かれて、自分たちの学校生活を向上発展させ、より豊かにしていくために、児童の発意を生かし、創意工夫して実際の活動を分担して行うものである。
30年ほど前、委員会活動の担当者より「活動内容を決定する際に子ども達の希望を大切にしてほしい」という話がありました。当時から体育に関わる仕事をしていたため必然的に運動委員会を任される事が多く、「運動委員会の仕事はボールの片付け・空気入れと体育倉庫の整理」という強い固定観念を持っていました。しかし、担当者からの依頼もあり、とりあえず子ども達に尋ねてみました。
すると、「アスレチックを作りたい」というとんでもないことを言い出したのです。毎年行っていた運動委員会お決まりの仕事には意欲など感じられない活動をしていましたので、何倍も大変なアスレチックなどできるとは思えませんでした。更に、セットしたものを毎日片付けなければならないのです。ですから三日坊主にすらならないだろうと高をくくっていたのですが、この途方もない計画は1年間見事に継続されてしまったのです。
もちろん毎日変化を付けたアスレチックを作り、そしてきちんと片付けて下校していました。それでも、ボールの片付けの類いは毎回注意を受けている状態でした。「かわいい下級生達が『今日のも楽しかったよ。又明日もくるね。』なんて言われると、嬉しくなっちゃうよ」と、運動委員会の子ども達はニコニコしながら話すのです。
「学校に対する無償の奉仕活動が委員会、だから高学年が担当するのだ」と思い込んでいた私は、委員会活動が奉仕ではなくボランティアの精神(やらされるのではなく、自分が楽しんで行う行為が結果的に周りも喜んでくれるもの)によって成り立っているのだということを子ども達から教わりました。ボールの片付けは大変でもその何倍もの肉体労働となるアスレチックに苦痛を感じないのは、自分と相手の双方が喜びを共有し合える関係にあるからだと思います。
尚、小学校のクラブ活動については中学校の部活動とねらいが全く違うはずなのですが、現実問題として特別活動に位置付けられているクラブ活動の内容になっているのかどうかをもう一度見直してみる必要がありそうです。