カモミールnetマガジン

2015年8月号

◆ 目次 ◆ ———————————————————————-

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 子どもたちが自律的な学習者になるために -アクティブ・ラーニングの勧め-

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◇ 所長だより ◇

一人称、二人称、三人称としての授業研究
教職教育開発センター所長   吉崎静夫

 今回は、一人称としての授業研究、二人称としての授業研究、三人称としての授業研究について、それぞれの特徴と課題について考えてみます。

 一人称としての授業研究は、教師が自らの授業実践を対象に、その授業を改善するために研究することです。その特徴は、表1に示されているように、当事者性(主体的な関わり)が大きい割には、客観性が低くなりがちなことです。そこで、一人称としての授業研究の課題は、少しでも客観性を高めることです。そのためには、その授業を録画したビデオを鏡的に利用したり、授業を観察した同僚教師と対話をすることによって、自らの授業実践を冷静に振り返ること(リフレクション)が求められます。

 二人称としての授業研究は、授業実践者と共同で、その授業を改善するために研究することです。具体的には、学外の研究者(あるいは同僚教師)が授業者と共同で授業を設計したり、授業後に授業者と授業について対話をし、授業改善のための手立てを探ることです。その特徴は、当事者性と客観性が中程度だということです。このことは、当事者性と客観性のバランスがほどほどにとれていることを意味します。そこで、学外の研究者(あるいは同僚教師)に求められることは、授業者が置かれている状況(文脈)を踏まえながら、授業づくりのためのヒントを示すことです。例えば、他の学校ではこのような状況で○○のような手立てを試みたことを伝えたり、○○のような教育理論からこのようなことが示唆されることを知らせることです。

 三人称としての授業研究は、授業者の了解をえて、ひたすら第三者の立場から授業実践を観察・考察して、その授業実践に関わる要因や要因間の関係を記述することです。その特徴は、一人称の授業研究とは逆に、当事者性が小さくて、客観性が高いことです。したがって、三人称としての授業研究の課題は、少しでも当事者性を大きくすることです。そのためには、何のために授業研究をしているのかを改めて認識しながら、その研究成果を授業改善にどうすれば少しでも結びつけることができるのかを深く考えることです。

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◇ 教育時事アラカルト ◇

「丸刈り校則裁判」を読む
教職教育開発センター教授 坂田 仰

「管理主義教育」が全盛期を迎えていた1980年代半ば,丸刈り校則が司法の場に持ち込まれたことがある。熊本県下の公立中学校の校則が,日本国憲法が保障する表現の自由や幸福追求権を侵害するとして争われた事案である(熊本地方裁判所判決昭和60年11月13日)。

 訴えに対し判決は,校則が「教育を目的として定められたものである場合には,その内容が著しく不合理でない限り」違法とはならないと宣言する。その上で,校則の制定が教育目的を有しているか否か,校則内容が著しく不合理であるか否か,という2つの観点から検討を進めていった。

 まず,判決は,非行化の防止,質実剛健の気風の養成,清潔さの保持,スポーツの便宜等といった観点を強調し,丸刈り校則が教育「目的」を有していることを認めた。ただ,丸刈り校則合理性については,「疑いを差し挟む余地のあることは否定できない」としてある種の疑問を投げかけている。しかし,丸刈りが「今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され」ている等として,「校則の内容が著しく不合理であると断定することはできない」と結論づけたのである。

 この判決により,丸刈り校則の妥当性は,一応,司法の場でも容認された。にもかかわらず,丸刈り校則の廃止が各地で加速していった。その背景として考えられるのが,国連で採択された子どもの権利条約である。条約の採択を契機に到来したある種のブームの下,子どもの意見表明権が強調され,多くの学校で管理教育の緩和が進められていった。その際,やり玉に挙げられた校則の一つが,男子中学生の丸刈り規則だったのである。

 しかし,子どもの意見表明権を重視すべきであるとしても,校則が「学校の責任と判断において決定されるべきもの」であることに変わりはない(文部事務次官通知「「児童の権利に関する条約」について」平成6年5月20日付文初高第149号)。ただ,仮に1980年代と現在の間に相違が存在するとしたならば,それは,校則の制定過程において,生徒側から提起された疑義に対し,学校側が,教育目的の達成に不可欠な理由を丁寧に説明していく「合意形成のプロセス」である。この「合意形成のプロセス」こそが,管理主義教育との決別を示すバロメーターと言えよう。

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◇ 子どもたちが自律的な学習者になるために -アクティブ・ラーニングの勧め-(No.5)  ◇

3 キュレーション学習
家政学部児童学科特任教授 稲葉 秀哉

(3)「学びのプラットホーム」作り
③ 展示の仕方
 「掲示」(2次元)から「展示」(3次元)へと発想をシフトさせます。児童生徒の表現の配列の仕方については、廊下や教室の壁面に掲示するという最も基本的な形から、展示空間も含めて一つの作品と見なす「インスタレーション」※6 の手法を取り入れる形(「スクール・インスタレーション」)など多様に考えます。児童生徒の表現を意味のある配列の仕方で立体的に展示し、その内容や趣旨、メッセージ等を生徒同士や地域・保護者の人たちと共有する。そして、学級や学年の枠を超え、学校の内外に発信し、広げるという意識が重要です。

 ※6「インスタレーション」
据え付け、取付け、設置の意味から転じて、展示空間を含めて作品とみなす手法を指す。彫刻の延長として捉えられたり、音や光といった物体に依拠しない素材を活かした作品や、観客を内部に取り込むタイプの作品などに適用されたりする。特定の場所と密接に結びつく(サイト・スペシフィック)ことや、多くは短期間しか存在しないなどの特徴も付随する。(現代美術用語辞典 ver.2.0 – Artscape から抜粋。)

「学びのプラットホーム」の企画・運営
 児童生徒の自主的な企画・運営による「学びのプラットホーム」作りがよいと考えます。学年縦割りの「教科リーダー」が主体的に企画・運営するやり方です。「学びのプラットホーム」をより多目的に柔軟に使えるように、児童生徒が自ら工夫を凝らしながら、主体的に企画・運営します。初めは教科リーダーが、そして、徐々に一人一人の児童生徒が、キュレーション能力を身に付け、キュレーターになる。そして互いの「企画展」を見合う。アクティブ・ラーニングの一つの形が、今ここにあります。

⑤ 実施上の留意点
 ⅰ児童生徒による自主的企画・運営
 「学びのプラットホーム」の企画・運営は教師の適切な指導のもとに児童生徒が自主的に行えるようにしたいです。例えば、教科(道徳を含める)ごとに、学年縦割りの「教科リーダー」を編成する。この学習活動により、自律的な学習能力に加えて、自治能力、自尊感情、ケアリング・マインド等の育成も期待されます。

 ⅱ 情報の収集・選別能力の育成
 児童生徒にとって、現在身の回りに溢れているオープンコンテンツばかりでなく、これまで学校等において数年に渡って溜めてきた自分(たち)自身の学習の成果物や作品等の集積の中から、新たに設定したテーマに合った(沿った)ものを探し出す力の育成がとても重要です。教科の知識等に裏打ちされた感性直感洞察力といったものが、情報選別の基準の一つとして必要となるのです。

 例えば、新たに「命の大切さ」というテーマで学習を進めようとするとき、「以前、理科の授業で『哺乳類』について調べたものがもう一度活用できるのではないか。」というような判断を(一定の判断基準を持って)児童生徒自身ができることが大切です。以前に別のテーマで作った古い資料が新しいテーマのもとで新たな光を放つものと意味付け、価値付けのできる感性や直感、洞察力です。つまり、一人一人の児童生徒が、様々な教科や領域においてキュレーターとしての感性や直感、洞察力を身に付けることが重要となります。このことは、児童生徒を自律的学習者として育成する指導法をさらに開発し、学校教育全体を活性化させるきっかけになると思われます。

 ⅲ デジタル・ポートフォリオの開発
 上記のように、過去の成果物にどのようなものがあるかを容易に見ることがで きるようにするには、教科・領域ごとに、学習の成果をデジタル化して残すという「デジタル・ポートフォリオ」の作成が有効となります。そのためには、学習のまとめの保存の仕方は、
 ・学習のまとめ等は、初めからデジタル入力する。
 ・既存の紙ベースの成果物をスキャンしたり、立体的な成果物は写真やビデで撮影したりして、デジタル化して残す。等の工夫が必要です。
(次回は、「ダブル・ループ思考」について述べます。)