◆ 目次 ◆ ———————————————————————-
(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト
(3) 小学校教師のための英語指導講座 -コンテクストに重点を置いた英語指導の勧め-
(4) 今月のおすすめ書籍
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◇ 所長だより ◇
二人称としての授業研究(3)
教職教育開発センター所長 吉崎静夫
2月号で、わが国の「二人称としての授業研究」の基盤となっているのが、学校風土の中で形作られた同僚性であると述べました。では、同僚性とは何でしょうか。
「学びの共同体」で知られる茅ヶ崎市立浜之郷小学校の実践を理論面から指導・助言した佐藤学氏は、「浜之郷小学校では、授業の事例研究による子どもの事実の語り合いを、専門家としての教師が育ち合う関係(同僚性)づくりの基盤としてきた。同僚性の構築こそが、学校改革の中心なのである」と述べています。まさに、同僚性は、「専門家としての教師が育ち合う関係」なのです。この点について、同校の初代校長である大瀬敏昭氏も、「学校改革のためには、実は『内側に開く』、つまり教室を開き、いつでも授業を公開するという取り組みが重要である。そのためには、教師一人ひとりが、授業を中心とした仕事を公開し、観察・批評しあい、創造しあうという『同僚性』の構築が何よりも求められる」と述べています。つまり、同僚性は、互いの授業を観察・批評し合い、創造し合うことにあるといえます。まさに、「二人称としての授業研究」を実践することです。
ところで、アメリカやアジア、さらに欧州にまで、わが国で育った授業研究(レッスン・スタディ)が普及した主要な要因の一つが、1999年にアメリカで出版された『ティーチング・ギャップ( The Teaching Gap )』でした。スティグラーとヒバートによって書かれた本書は、アメリカの教育界に衝撃をあたえました。特に、日米の中学校の授業(数学)の比較において、日本では「深く理解し、考えさせる授業」が実践されているのに対して、アメリカでは「練習(ドリル)によって解法の手順の習得を図る授業」ばかりであったということです。つまり、アメリカでは、理想(深い理解と思考をさせる授業)と現実(解法の習得ばかりの浅い授業)との間に大きな隔たりがあったということです。
そこで、スティグラーらは、このような授業を実現している要因を調べるために、日本の校内研修(授業研究)に注目しました。その結果、次のようなことが明らかになりました。
「日本では、授業実践の改善に関する第一の責任を教師自身に与えています。『校内研修』とは、日本の教師が一度は携わるべき学校単位の専門職的能力開発の持続的過程を表すために使われる言葉です。」
まさに、今話題になっている「専門的な学習共同体( Professional Learning Community, PLC )」が、日本では校内研修(校内での授業研究)によって構築されていると、彼らは考えているわけです。現在の日本の学校は、どうなのでしょうか。再考してみる必要がありそうです。
文献
●佐藤学(監修)・茅ヶ崎市立浜之郷小学校(編)『学校を創る』小学館、2000年
●ジェームズ・スティグラー/ジェームズ・ヒーバート(著)湊三郎(訳)
『日本の算数・数学教育に学べ-米国が注目するjugyou kenkyuu-』教育出版、2002年
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◇ 教育時事アラカルト ◇
LGBT問題を考える-トイレ戦争の行方-
教職教育開発センター教授 坂田 仰
LGBT問題への社会的関心が高まっている。レズビアン(Lesbian),ゲイ(Gay),バイセクシュアル(Bisexual),トランスジェンダー(Transgender)等,性的マイノリティ一問題である。
日本ではまだ大きな問題となっていないが,アメリカ合衆国では,LGBTの処遇を巡って,「トイレ戦争」と呼ばれる激しい衝突が起きている。ことの発端は,今年3月,ノースカロライナ州が制定した法律,公共施設におけるプライバシーと安全に関する法律(Public Facilities Privacy and Security Act)である。トランスジェンダーのトイレ使用に関して,公共施設では,本人の性的な認識ではなく,出生証明書記載の性別(生物学的性別)に従うよう求めている。
これに対し,連邦政府は,ノースカロライナ州法はトランスジェンダーに対する性的差別に当たるとして差し止めを求める訴訟を提起した。また,オバマ大統領は,自己の性的認識に従って,トイレ等の施設を利用できるようにすべきとの所感を表明している。他方,ノースカロライナ州知事は,「常識」に基づいた,プライバシーと平等の調整である等と反論している。そして先月,オバマ大統領の後を受けたトランプ大統領は,トランスジェンダーに関する前政権の政策を撤回すると発表した。だが,トイレ戦争は一向におさまる気配を見せていない。
なお,文部科学省は,2015(平成27)年4月,「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」と題する通知を出している(平成27年4月30日付け27文科初児生第3号)。「性同一性障害」に焦点をあてたものだが,事実上,この通知が,LGBT問題全般の指針として機能している。トイレの使用に関しては,別紙「性同一性障害に係る児童生徒に対する学校における支援の事例」において,「職員トイレ・多目的トイレの利用を認める」ことを挙げている。
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◇ 小学校教師のための英語指導講座 -コンテクストに重点を置いた英語指導の勧め- ◇
家政学部児童学科特任教授 稲葉 秀哉
10 言葉と心(おわりに)
“I wish I were a bird.”
1981年にロサンゼルスの書店で幼児用の絵本を手に取った時に目に入った文字です。見開きのページには羽を大きく広げている鳥とそれを見つめている少年の絵。その下にこの言葉が一言書かれていました。中学校の英語教員であった筆者はそのページに強く引き込まれ、「わあ、仮定法過去だ。」と思わずつぶやきました。
当時の日本では、この文が教科書に出てくるのは高校でした。英米人の幼児の日常的な「つぶやき」を「仮定法過去」という物々しい名称のもとで高校生になってから学習していたのです。当時の英語教科書の編集方針は、文法シラバス中心であり、文法項目の配列は、子どもの言語習得の過程は考慮されずに、日本人の大人が決めた「子どもが覚えやすいやさしい順番」で並べられていたのです。それ以前から中学校1年の教科書のほとんどは、“This is a pen.”のように、Be動詞から始まっていました。その中で、“I have a book.”のように一般動詞から始まる教科書が現れ、「それは中学1年生には難しいのでは?」と大きな議論になるような時代でした。
1994年頃、筆者はある英語教科書の編集に携わることになり、中学1年の教科書の本文に“I wish I were a bird.”を入れたいと提案しました。しかし、教科書作成上の様々な「制約」はまだまだ厳しく、実現しませんでした。
それから4半世紀が経とうとしている現在、中学校の学習指導要領では、言語活動の指導事項は、学年ごとにではなく3学年間を通して示されています。これは大きな改善であるのですが、「言語材料の指導については,一般に平易なものから難しいものへと段階的に指導することが大切である。例えば,学習の基礎の段階では単純な構造の文を取り上げ,学習が進むにつれて複雑な構造の文を主として取り上げるようにすることが大切である。」となっているため現状はあまり変わっていません。
2017年1月31日に、都内のある区の研究発表会で、小学校の英語教育の実践発表がありました。発表の小学校は、指導に有効な絵本としてOxford Reading Treeを紹介しました。その絵本に出ている英文は、“Kipper wanted a party.”“Kipper wanted to come.” “Kipper was sorry.”のように過去形の文でした。奇しくも、その前日に文部科学省は、小学5、6年生で動詞の過去形を学ぶ指導計画案を専門家会議に示したところでした。
「文法シラバス」にとらわれない「表現中心」の現在の小学校英語では、過去形の文を日常表現の一つとして児童に提示します。この現状を中学校の英語科教員はどのように捉えるでしょうか。上記のように、「易から難」の順番で配列されている文法シラバスによる指導に慣れてきている中学校英語科教員の中には、「仮定法過去」を高校で教えるこれまでの英語教育は、“I wish I were a bird.”を身近な日常表現の一つとして教えるような小学校流の英語指導に取って代わられる日が近いのでは、と危惧される方もおられるのではないでしょうか。このままでは、「表現中心」の小学校英語と「文法中心」の中学校英語は、お互いに相入れずに、それぞれの道を歩んで行くようにさえ思えます。子供たちのためにも、それはどうしても避けたいことです。
言葉によるコミュニケーションは、互いの思いを伝え合う人としての大切な行為です。一つの単語も、一つの文法も、人は自分の思いを相手に伝えるために工夫して使っています。小学校の教員も、中学校の教員も、まず、言葉としての英語を、日本語と同じように大切にする姿勢を持つことが大切であると思います。言葉を大切にすることは、心を大切にすることだという共通認識のもとに、そして、その大切さを子供に伝える「言葉の教師」であるという自覚のもとに、これまで以上に小学校と中学校の連携・協力を進めていくことが肝要です。
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◇ 今月のおすすめ書籍 ◇
~ 「ヒトゴト」から「ジブンゴト」へ ~
「徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす―社会的損失40兆円の衝撃―」
日本財団 子どもの貧困対策チーム著 定価780円(税別) 文春新書
子どもの貧困問題に関心が集まっています。教育活動の中で様々な子どもや保護者と関わる教師の皆さんにとっては「日本の子どもの6人に1人は貧困状態」という報道もさほど驚かないかもしれません。しかし、日本人の多くが「意外」と感じているそうです。この「意外性」こそが、関心を呼ぶ要因にもなっている反面、時期が過ぎれば「ヒトゴト(他人事)」で終わる可能性もあります。
そこで、対策チームが貧困問題を「ジブンゴト(自分事)」にするアイデアとして打ち出したのが「子どもの貧困の社会的損失推計レポート」でした。子供の貧困が与える経済的・社会的影響を具体的な「金額」で可視化することで、ヒトゴトとは思えないようにしたのです。家庭の経済格差は子どもの経済格差を生み、将来の所得格差につながる「貧困の連鎖」を招きます。推計レポートでは、現在貧困状態にある0歳から15歳の子ども全体が一生涯に失う所得や財政収入を試算すると、所得減少額は42兆9000億円、財政収入減少額は15兆9000億円という社会的損失をはじき出しました。
ただ、所得損失のうち、半分の約20兆円は貧困世帯における大学進学率の低さによるもの、また、同様に高校進学率の低さと高校中退率の高さも損失額に相当のインパクトを与えていることも分かったのです。社会的損失を減らす手立ての一つとして高校中退を防ぐこと、さらに貧困の連鎖を断ち切るために所得以外の「『自立する力』の伝達行為」としての「社会的相続」も重要です。特に、学力以外の「非認知的能力」(意欲、やり抜く力、自制心、社会性など)が大きな鍵を握ることも先行研究で明らかになっています。
本書は、推計レポートの他、当事者・経験者のインタビュー、貧困の連鎖を断つ海外の先行研究、そして現在、日本の政府、自治体、NPO等がどのような対策を実施している等、貧困問題の現状と国内外の解決策がまとめられています。問題は存在しないのではなく、単に知らないだけ、ということに気付かされる一冊です。 (猫)