カモミールnetマガジン

2018年12月号

◆ 目次 ◆ ———————————————————————-

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―
(3)教育時事アラカルト


▼——————————————————————————-

◇ 所長だより ◇

授業研究における理論と実践の関係(10)
           教職教育開発センター所長  吉崎静夫

 今号が、「授業研究における理論と実践の関係」を論じる最終回となります。
 そこで、今回は、これまで取り上げてきた「大村はま」「有田和正」「田尻悟郎」といった熟達教師(エキスパート教師)の教育技術をタイプ分け(下記◆参照)をして、どうすれば他の教師に少しでも伝達できるようになるのかを考えてみます。
 そのことが、わが国の教師(特に、若手教師)の授業力量の向上につながるのではないかと期待するからです。

 ◆「熟達教師(エキスパート教師)の教育技術」の3つのタイプ
 (1) 一般的な教育技術
  →そのままで、他の教師への伝達が可能である。
 (2) 個性的な教育技術A
  →その教育技術の成立条件が明確になれば、他の教師への伝達が可能になる。
 (3) 個性的な教育技術B
  →当分の間、他の教師への伝達が困難である。

 上に示されているように、熟達教師(エキスパート教師)の教育技術を3つにタイプ分けしています。

 一般的な教育技術とは、大村はまの「子どもに書かせるための教育技術(作文指導のための教育技術)」でいえば、
[1] 子どもに聞かせる話を考える(または、聞かせる話を探してくる)
[2] 話の内容を適当な3ヵ所ぐらいで切っておく
[3] 話を読みながら、あらかじめ切っておいた箇所で話を中断させる
[4] 中断した箇所で心に浮かんだことを自由に2~3分間で書かせる
ということになります。
 確かに、これらの方法や手順は、そのままで他の教師に伝達可能なものです。

 一方、個性的な教育技術とは、題材の選び方、話し方、切り方ということになります。
 この教育技術は、大村はまという優れた実践家の力量に依存しています。

 しかし、この教育技術の成立条件([1]どのような観点や基準で題材を選ぶのか、[2]どのようなことに留意して題材を読むのか、[3]どのような観点や基準で文を区切るのか)が明確になれば、この教育技術は「個性的な教育技術A」に分類されることになります。そして、これらの成立条件が明確にできなければ、この教育技術は「個性的な教育技術B」に分類されることになります。

 したがって、熟達教師(エキスパート教師)を対象とする授業研究は、彼(女)らの教育技術を3つにタイプ分けするとともに、「個性的な教育技術」の成立条件を明確にすることです。そして、このような授業研究が今こそ求められているのです。

【参考文献】
※1 大村はま:『教えるということ』:共文社, 東京, 1973年

▼——————————————————————————-

◇ 児童・生徒の理解と指導   ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に― ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

<8> 「共感的理解」の在り方

(2) セラピストは「どこに」クライエントの内的照合枠を構成するのか
 11月号では、「共感的理解」に必要なことは、セラピストは自己の内的照合枠の外側に、あるいは並列的に、クライエントの内的照合枠を自己のものとは別に構成する(設ける)ことと考えると述べました。
 小林(2013)※1は
「治療者が、対話等によってクライアントの体験にまつわる情報を集めることで、治療者の心内にクラアント固有のものに似たネットワーク構造が構築され、それがクライアント固有の体験過程に似た体験過程を生じさせる。つまり、他者である治療者の心内に、クライアントに類似した体験過程が生じることが可能になる。この体験過程を感じることによって、クライアントの体験を知ろうとし、それを言語化して伝えようとするのが、共感的理解である。」
と述べています。

 さらに小林(2013)は、
「このとき、治療者の心内に、治療者自身のネットワーク構造の影響を受けないサブユニットとして、クライアントのネットワーク構造が構築されれば、治療者『自身の怒りや怖れや混乱を、そこに混入させないようにしたままで』理解することが可能であり、また『(クライアントの)世界の中を自由に動き回る』とでも表現できるような体験が可能となると考えられる。」
と述べています。

 ここで興味深いのは、小林(2013)は、「内的照合枠」を「情報処理のネットワーク構造」と捉えたことです。治療者はクライエントに関する情報を数多く取得することで、治療者の心内にクラアント固有のものに似た「情報処理のネットワーク構造」が構築できると考えたのです。本論文では、この小林(2013)の考え方を踏まえて、セラピストがクライエントに対して共感的理解を進める上でのメカニズムを次の(3)ように考えました。

(3) セラピストは自分のどこに「クライエントの内的照合枠」を構成するか
 セラピストは自己の心内のどこに「クライエントの内的照合枠」を構成するのでしょうか。次の2つの場合が想定されます。

 [1] 自己の内的照合枠の内側に「クライエントの内的照合枠」を置く。
 セラピストはクライエントの内的照合枠を自己の内的照合枠の中に取り込むというやり方です。
 この時、両者は同化し、一体化しがちですので、セラピストは「一致」(8月号参照)ができにくくなります。そうすると、三國(2015)※2が述べているように
「‘as if….’の感覚がない他者への《共感的理解》は、共感的に相手を理解しようとしているのでなく、同情である。」
ということになりがちです。また、クライエントのもの見方や考え方に引きずられてセラピスト自身が自己を見失う可能性も出てきます。これはセラピーにおいて最も気を付けるべき危険なケース(注1)です。

 [2] 自己の内的照合枠の外側あるいは並列的にクライエントの内的照合枠を置く。
 セラピストはクライエントの内的照合枠を自己の内的照合枠とは別のところに置くというやり方です。
 この時、自己の内的照合枠とクライエントの内的照合枠の間に‘As if’というアダプターを取り付けます。‘As if’というアダプターは両者の繋ぎ役の働きをします。両者が同化したり一体化したりしないための歯止めになると同時に、クライエントのものの見方や考え方を一定の距離を置いて客観的に体験するための繋ぎ役をします。
 ‘As if’というアダプターを取り付けることによって、セラピストは「一致」の態度を貫きつつ、クライエントの内面の世界を体験することができます(注2)。‘As if’というアダプターを取り付けることは、セラピストにとって、セラピーを行う上での「心得」でもあります。

 次号では、セラピストは「どのように」クライエントの内的照合枠を構成するかについて考えます。(次号に続く)

(注1) 自尊感情の育成という観点では、「自尊感情の高さは、子どもの頃の年齢に応じた、親の子どもに対する肯定的で無条件に受容する養育態度と強い関連がある」とされています(「心理学辞典」有斐閣)。この時、親は心内に子どもの内的照合枠をどのように取り込んでいるかを見ることも興味深いことと思われます。

(注2) このように考えると、ロジャーズ(1957)が「共感の状態(あるいは共感的である)は、あたかもその人のように、でも‘あたかも’の感覚を決して失わずに、正確に、そして、感情的な構成要素と意味を持って他者の内的照合枠を正確に経験することである。」と述べている意味がより一層明確になります。

【参考文献】
※1 小林孝雄:文教大学臨床相談所紀要, 第18号: pp.29-37:「ロジャーズによる『共感的理解』の記述の検討 -『知覚』から『感じる』、『内的照合枠』から『私的な世界へ-」, 2013年
※2 野島一彦監修, 三國牧子ほか編著: 『ロジャーズの中核三条件 共感的理解 カウンセリングの本質を考える 3』:pp.4-22: 三國牧子「共感的理解をとおして」, 創元社, 大阪, 2015年

▼——————————————————————————-

◇ 教育時事アラカルト ◇

修学旅行の安全確保
-学校の調査責任-

           教職教育開発センター教授  坂田 仰

 21世紀に入って以降、修学旅行の様相が一変している。列車やバスに乗って名所・旧跡を廻るといったかつての定番は激減し、体験活動を重視する学校が多くを占めるようになってきた。だが、体験活動は事故発生のリスクが付いて回る。海や川などでの自然体験は特に注意を払う必要がある。

 神奈川県下の公立高等学校で修学旅行における自然体験活動中に、水難事故が発生し、訴訟にまで発展した例が存在する(横浜地方裁判所判決平成23年5月13日)。
 この学校では、「自然体験を通して生徒の自主性をはぐくむ」こと等を目的として、沖縄への修学旅行を実施していた。海での水遊びの最中、教員の指示とは異なる場所で海に入っていた生徒らが、リーフカレントという強い流れにより沖に流され、死亡した事案である。

 損害賠償の支払いを求める訴訟において、遺族側は、引率教員には、「修学旅行で訪れる場所及びその周辺に危険箇所がないかを事前に調査し、危険箇所があるときはこれを生徒に告知し、そこへ近づかないよう指導する義務」があるはずと主張する。その義務にもかかわらず、この学校の教員は、事前調査を怠り、リーフカレントの危険性を生徒に告知していなかったと非難している。

 判決は遺族の主張を支持し、教員の事前調査義務と注意喚起義務違反を厳しく追及している。
 例えば、事前調査は、「市販の旅行雑誌を読み、旅行業者の担当者から情報提供を受けたというだけでは、調査を尽くした」とは言えず、「関係官公署に問合せるなどして、危険箇所の有無及び沖縄で海に入る場合の注意点等の情報を収集した上」で、十分な実地踏査を行うべきであったとされる。

 修学旅行が教育活動の一環である以上、事前調査等は、学校が自らの責任において行うべきものと考えられる。しかし、この学校は、危険箇所等に係る情報収集を旅行会社に委ね、その責任を外部に転嫁していたという。自然体験を取り入れた修学旅行を企画するのであれば、活動に伴うリスクを勘案し、自ら情報収集を行う姿勢が求められることになる。