◆ 目次 ◆ ———————————————————————-
(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―
(3)教育時事アラカルト
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◇ 所長だより ◇
川崎市との学校支援事業と日本女子大学(1)
教職教育開発センター所長 田部俊充
日本女子大学は、川崎市との連携事業として、西生田キャンパスが位置する同市多摩区を中心に「学校教育ボランティア学校サポート事業」や、地域と交流するサクラボ(SAKU LABO)などの取組を行っています。
5月号で紹介した武庫川女子大学教育学部設置記念シンポジウム(2019年5月25日)においても日本女子大学の教職課程の特徴の一つとして紹介し、自治体との具体的な連携の進め方、とりわけ学校の受け入れの難しさについての対応に質問をいただきました。
今回は川崎市との連携のきっかけとなった「学校教育ボランティア学校サポート事業」について紹介します。
日本女子大学は、創設者である成瀬仁蔵先生自身が山口県教員養成所出身で小学校教諭や校長の経験があったこともあり、1901年の創設時より教職に力を入れており、初等・中等教育分野において多くの教員を輩出してきました。
私はこれまで、主に人間社会学部と通信教育課程の学生とかかわってきていますが、教職を志望する学生たちはとても熱心で、学校でのボランティアを希望する学生も多くいました。
当初は教育学科中央研究室で個別にボランティアの受付を行っていましたが、ニーズの増加とともに要望が多様化しており、対応の仕方を考えていたところでした。
そのようなタイミングで、多摩区との連携事業に応募してみないか、という打診があり、教職を希望する学生のボランティアについて「学校教育ボランティア学校サポート事業」として制度化し、川崎市の有力OGの方々にコーディネーターになっていただく、という案を骨子とする申請書を書き上げました。
そして、2006年8月より「学校教育ボランティア学校サポート事業」がスタートしました。当時大変お世話になった塚田庸子先生、藤田清子さんと試行錯誤を重ねながら、学校や教育委員会、校長会に伺いました。
西生田キャンパスに学校教育ボランティア事業室を置き、学生の相談や派遣についての窓口となり、事業の組織的かつ円滑な運営に取り組んでいます。各年度で「学校教育ボランティア学校サポート事業報告書」を作成し、報告会も開催しています。(続く)
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◇ カリキュラム・マネジメントと総合的な学習の時間 ◇
家政学部児童学科特任教授 稲葉 秀哉
【3】総合的な学習の時間の本質
(1)「探究的な見方・考え方」
総合的な学習の時間の目標は、「探究的な見方・考え方」を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することです。
「探究的な見方・考え方」とは、「各教科等における見方・考え方を総合的に活用して、広範な事象を多様な角度から俯瞰して捉え」ようとする見方・考え方です。
また、それらの見方・考え方をもって実社会・実生活の課題を探究し、自己の生き方を問い続ける姿勢・態度が重要とされています。
(2) 総合的な学習の時間における「資質・能力」
総合的な学習の時間を通して育成することを目指す「資質・能力」(「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力、人間性等」)は、それぞれ次のように示されています。
[1] 探究的な学習の過程において、課題の解決に必要な知識及び技能を身に付け、課題に関わる概念を形成し、探究的な学習のよさを理解するようにする。
[2] 実社会や実生活の中から問いを見いだし、自分で課題を立て、情報を集め、整理・分析して、まとめ・表現することができるようにする。
[3] 探究的な学習に主体的・協働的に取り組むとともに、互いのよさを生かしながら、積極的に社会に参画しようとする態度を養う。
これら3つの中で、[2]はOECDが示す「スキル(skill)」に相当する力です。
(3)「探究的な学習」
平成20年の「中学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編」では、「探究的な学習における生徒の学習の姿」として、らせん図のような一連の学習過程が示されました(添付の図201906inaba.jpg参照)。そして、このように発展的に繰り返されていく問題解決的な活動を「探究的な学習」と呼びました。
「探究的な学習」とは、このように物事の本質を探って見極めようとする一連の知的な営みのことであり、今回の学習指導要領においてもこの考え方は同じです。探究的な学習の過程を総合的な学習の時間の本質と捉えています。
(4)「横断的・総合的な学習」
総合的な学習の時間の学習の対象や領域は、特定の教科等にとどまらず、横断的・総合的である必要があります。
児童・生徒は、教科等の枠を超えて探究する価値のある課題、例えば、国際理解、情報、環境、福祉・健康などの課題に取り組みます。
平成29年の「中学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編」には、以下のような例が示されています。
「地域の自然環境とそこで起きている環境問題」
「地域の伝統や文化とその継承に力を注ぐ人々」
「ものづくりの面白さや工夫と生活の発展」
「職業の選択と社会への貢献」
こうした探究課題は、特定の教科等の枠組みの中だけで完結するものではありません。各教科等の資質・能力が繰り返し活用・発揮されることが不可欠です。
このように考えると、総合的な学習の時間を充実・発展させることが、各教科等の資質・能力の育成をさらに進めることにつながることは明らかです。
また、国際社会でもテーマとなっている「汎用的な能力」の育成にも直接つながります。
国際社会の中で重要な役割を果たしていく日本のこれからの教育を考えると、学校の教育目標の在り方をも改めて見直し、教科等横断的な視点から学校全体の教育活動の改善を図り、教科等や学年を超えた組織運営の改善を行うカリキュラム・マネジメントを体系的に行うことが重要なのです。
総合的な学習の時間は、まさにその鍵となるのです。(次号に続く)
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◇ 教育時事アラカルト ◇
「教育の自由」と授業における校長批判
教職教育開発センター教授 坂田 仰
「教育の自由」というフレーズを聞いたことがあるだろうか。
旧文部省と職員団体の対立が激しかった1980年代まで、職員会議等で飛び交っていた言説である。
時は流れて現在、文部科学省と職員団体、管理職と教員の対立よりも、学校、教員と保護者や地域住民の対立がより目立つようになった。
だが、チームとしての学校という発想に馴染めず、未だに「教育の自由」を錦の御旗のように掲げている教員がいないではない。
教育の自由とは、教員は学習指導要領や管理職の指示に拘束されることなく、自らの専門的判断にしたがって自由に教育内容を決定することができるとする考え方である。
学問の自由等から派生し教員が有するとされる人権の一種、いわゆる教育人権であるとする考え方、これに「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と規定していた旧教育基本法10条1項の解釈が相まって、かつて教師の教育の自由は学校現場において一定のプレゼンスを保持していた。
では、教育の自由の限界はどこに存在するのだろうか。
この点については、教育の自由の限界が、校長批判という形で表出した校長批判戒訓告事件が参考になるだろう(東京地方裁判所八王子支部判決平成16年5月27日)。
国旗、国歌の取り扱いを巡って、校長の方針に反発した教員が、授業中、校長の言動をオウム真理教になぞらえ、国旗、国歌の取り扱いをマインド・コントロールなどと批判するプリントを配布したり、職員会議での対立を話したりして、問題となった事案である。
服務監督権を有する市教育委員会は、地方公務員法上の信用失墜行為に該当するとし、当該教員を文書訓告とした。
これを不当とする教員の訴えに対し判決は、最終的に教員の訴えを退けている。
中学校段階の生徒に対し、思想信条において対立する立場にある校長を「重大な犯罪を犯した宗教的組織の一員と同じようにマインドコントロールされた状態下にある者であるといわんばかりの内容の教材を作成し」、授業を行うことが、「自主性の尊重という教育の目的を達成するのに通常必要となる手段であると評価することは到底困難」とする判断である。