カモミールnetマガジン

2019年12月号

◆ 目次 ◆ ———————————————————————-

(1) 所長だより
(2) 児童・生徒の理解と指導 ―教師の「視点取得能力」の獲得と育成を中心に―
(3)教育時事アラカルト


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◇ 所長だより ◇

附属豊明小との小大研究協力(2)

           教職教育開発センター所長  田部俊充

 本学附属豊明小学校との小大連携事業は、2019年度で7年目となりました。
 今年度は、11月11日(月)に、5年生の社会科のクラスで出前授業を行いました。世界の学習の中で地球温暖化に対する児童の考えを深めるための教材開発を学生たちと考え授業に臨みました。

 今回も11月号で紹介した『北極ライフ』の教材化を工夫するとともに、(1)これからの自動車産業の方向性として中国・深セン(センは土偏に川)の取材を通して得た電気自動車の今後について考え、(2)地球温暖化の阻止を求めて世界中から注目されているスウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんの教材化を学生たちと考えました。

 40分授業を2コマの短い時間でしたが、中国、スウェーデンの現地取材の成果や学生のクイズなどを踏まえたパワーポイントの工夫も加えながら、児童は2つの新聞記事を読み解きました。
 多くの児童がしっかりとした意見を持ち、次のような感想を言ってくれました。
「中国は空気がきたないイメージでしたが,太陽光や風力などを利用して地球温暖化を防いでいてびっくりしました。また、シェンチェンではたくさん電気自動車を使っていて、日本ではあまり使っていないので、もっと買いやすくしたほうが良いと思った。」(Aさん)

「とても楽しかったです。私は海外についてとても興味があったので、この授業をうけられて良かったです。ありがとうございました。」(Bさん)

「私たちより小さい2年生のときに地球温暖化について考えはじめて、本気で地球について考えているグレタさんをはじめてくわしく知りました。色々な大人たちが地球温暖化についていろいろ言っていますが、グレタさんは本当に行動をしていて、世界にはこんな子どもがいるんだ、ととても感心しました。」(Cさん)

“Think Globally,Act Locally(地球規模で考えて、地域で行動しよう)”
 地域の課題も世界の課題も考え、両者をつなぐことの出来る人に育ってほしいです。(続く)

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◇ カリキュラム・マネジメントと総合的な学習の時間 ◇
           家政学部児童学科特任教授  稲葉 秀哉

【9】新学習指導要領における「コンテンツ」

(1) 「コンテンツ・ベース」である新学習指導要領
 新学習指導要領(平成29年告示)について、その土台にある考え方は「コンテンツ・ベース」から「コンピテンシー ・ベース」への転換であるとよく言われます。
「学習指導要領の枠組みを、これまでの各教科・科目の『目標・内容』中心の“縦割り”(コンテンツ・ベース)から、各教科・科目の“横断型”の『資質・能力』重視(コンピテンシー・ベース)に変換していくことがポイントになろう。」という意見もあります。

 しかし、これらの意見は新学習指導要領の姿を正確に捉えていません。確かに新学習指導要領では、様々なレベルの「資質・能力」(注1)の育成が主張されています。

 しかし、「最優先で考えるべきことは、各教科における深い思考力の育成であり、これを進めていくことで、汎用スキルや教科横断のテーマ、メタ認知などは自然と身に付いてくると考える。」(「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議のまとめについて(報告)」平成28年8月26日 教育課程部会)という考え方は根強く、新学習指導要領においても、この考え方が根底にあります。
 新学習指導要領は、各教科等のコンテンツとその学習法を重要視しており、基本的には「コンテンツ・ベース」なのです。

(2) 「コンテンツ」の捉え方
 松下佳代(2014)(※1)は、汎用性があるのは、能力(コンピテンシー)よりもむしろ知識(コンテンツ)であり、汎用性のある知識とは、それぞれの学問分野で議論されてきた、世の中を理解するうえで必要な概念であると述べています。
 そして、「例えば世界経済の状況を見る時に、どんなに批判的思考力を持っていたとしても、貨幣や資本といった経済学の基本的な概念を深く理解していなければ短期的な見方しかできません」と述べています。

 秋田喜代美(2017)(※2)は、「これからの教育で重視されるコンテンツは、個別的・断片的な知識ではなく、各教科で重要とされる概念や原理などの内容」であると述べています。

 しかし、新しい学習指導要領(平成29年告示)では、「コンテンツ」に当たる各教科等の「内容」でそのような「概念」や「原理」がこれまで以上に取り上げられているわけではありません。基礎的・基本的な知識としてのコンテンツが発展的に取り上げられるような工夫は講じられていますが、コンテンツの内容の大幅な改編があったわけではありません。新学習指導要領の考え方は、コンテンツの学び方が重要であるという考え方なのです。

(3)「コンテンツ」の学び方
 白井俊(2018)(※3)は、「コンピテンシーを重視すると言っても、そのことが、各教科等のコンテンツを軽視するものではないということである。コンテンツを学習する過程において、コンピテンシーが育まれるのであるし、より高次のコンピテンシーを獲得することにより、さらに多くのコンテンツをより深く理解することが可能になる好循環が働くのである。したがって、コンピテンシーを重視するとしても、コンテンツとコンピテンシーが二項対立で捉えられてはならないことについては、改めて留意が必要であり、一つ一つのコンテンツをしっかりと学習していくことの重要性が変わるものではない。大切なのは、コンテンツを学んだことで、どのような資質・能力が身についたかという学習の成果を意識することである。」と述べています。

 新学習指導要領では、コンテンツを「どのように学ぶか」に重点が置かれています。
 その「どのように学ぶか」を示しているのが「見方・考え方」です。
「見方・考え方」は「各教科等を学ぶ本質的な意義の中核をなすもの」として位置付けられており、各教科等の「目標」と深く関わっています。

 例えば、中学校数学の「目標」では、「数量や図形などの基礎的な原理・法則など」を学ぶことを通して「(2)数学を活用して事象を論理的に考察する力、数量や図形などの性質を見出し統合的・発展的に考察する力、数学的な表現を用いて事象を完結・明瞭・的確に表現する力を養う。」が挙げられています。

 そして、「見方・考え方」としては、「事象を、数量や図形及びそれらの関係などに着目して捉え、論理的、統合的・発展的に考えること」とし、「数学的な見方・考え方を働かせた学習活動は、数学的に考える資質・ 能力を育成する多様な機会を与えるとともに、数学や他教科の学習、日常や社会において問題を論理的に解決していく場面などでも広く生かされるものである。」としています。
 白井(2018)が「コンテンツを学習する過程において、コンピテンシーが育まれる」と述べているのは、まさにこのことなのです。

 しかし、その指導法は、結局は学校現場の教師に委ねられています。
「生徒がどのように学ぶか」は「生徒にどのように指導するか」の裏返しであり、教師にはコンテンツが内包する「汎用性」を理解して指導することが求められているのです。

「数学的な見方・考え方を働かせた学習活動は、数学や他教科の学習、日常や社会において問題を論理的に解決していく場面などでも広く生かされるものである」ということを常に念頭に置いて指導できる高い教科の専門性が求められているのです。
 個別の(断片的な)知識・技能が有機的に結びついて「概念」になる時、それは深い理解となるという考え方のもとで、教師は「主体的・対話的で深い学び」のうちの「深い学び」をどのように進めるか手腕が問われているのです。

 新学習指導要領では、将来に渡って生きて働く汎用的スキルを育成するために、「教科等」の枠において「教科等に固有の知識や個別スキル」や「教科固有の汎用的スキル」を身に付けることと、それらを総合的に活用する「総合的な学習の時間」や「特別活動」等において「教科横断的な汎用的スキル」を身に付けることの2本立てを考えているのです。(次号に続く)

注1:「資質・能力」(「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」の3つの柱)や「学習の基礎となる資質・能力」「現代的な諸課題に対応して求められる資質・能力」等.

【参考文献】
※1 松下佳代:「世界の教育の潮流『新しい能力』とは~松下佳代氏に聞く」:eduview(http://eduview.jp/?p=1320), 2014年6月29日
※2 秋田喜代美:「世界のコンピテンシー育成の流れから見た日本の強みと示唆」:教育フォーカス(https://berd.benesse.jp/feature/focus/16-shinkatei/activity2/), 2017年3月15日
※3 白井俊:「新しい学習指導要領を読み解くための視点」:教育さいたま31号, さいたま市教育委員会, 2018年3月

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◇ 教育時事アラカルト ◇

持久走、マラソン事故を考える
-子どもの健康観察は万全か-

           教職教育開発センター教授  坂田 仰

 持久走大会やマラソン大会は学校の冬の風物詩である。
 ただ、公道やクロスカントリー場等、校外で行われる大会には常に「事故」の危険が伴う。走力の違いから子どもが散開し、校内で行われる場合と比較して教員の伴走や監督がより一層困難になる。交通事故、持病の悪化等、想定される事故は少なくない。

 持久走大会事前練習事故国賠訴訟は、この危険性が顕在化した事案である(福岡地方裁判所判決平成14年3月11日)。
 福岡県下の小学校において、持久走大会に向けて公園を利用した練習会が行われた。その際、ぜん息の持病を有する三年生の児童が倒れるという事故が発生している。監督に当たっていた教員らが駆けつけ、救急車を要請し、病院に搬送されたが、治療の甲斐なく死亡したという事案である。

 遺族は、養護教諭が同行していなかったこと、救急車の要請に8分もの時間を要していること等、学校側の監督体制に問題があったと主張している。

 これに対し、判決は、まず救急車の要請が遅れたという主張に対し、「緊急時においては、傷病者に対する応急の対応や傷病状態に関する具体的な状況判断を経て適切な決定に至るまでにある程度の時間を要することは社会通念上やむを得ない」としている。
 そして、救急車の要請までに8分を経過している点について、「速やかに救急車を要請しなかった過失があったということまでの評価をすることはできない」と判示した。
 また、養護教諭を練習会に参加させなかったことについては、他の学年の児童が学校に残っていたことや、練習会には10人の教師が引率・指導に当たっていたこと等を理由に、学校側の判断を支持している。

 ただ、判決の当否は別として、子どもの安全を最優先するという視点からは、学校側の判断にはある種の「甘さ」を感じる部分がある。
 判決は、「気管支ぜん息の疾患を有する児童は、持久走等の運動によりぜん息発作が誘発されることがあり、たとえそれまで軽症、中等症のぜん息発作しか発生したことがなくても、突然に死亡につながるような大発作が発生し得る可能性があることは否定できない」と指摘している。
 もしそうであったならば、学校側は、養護教諭が不在となる校外での練習を休ませるか、参加させるのであれば、養護教諭の同伴を考慮すべきであったとのではないか。その意味において、子どもの健康観察が疎かにされたケースとして記憶されるべき事案と言えるだろう。