◆ 目次 ◆ ———————————————————————-
(1) 所長だより
(2) 教育徒然草
(3) 教育時事アラカルト
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◇ 所長だより ◇
卒業生の活躍に触れて
教職教育開発センター所長 田部 俊充
少々前のことになりますが、卒業後12年目の卒業生に、教職教育開発センター年報第6号の実践報告の執筆をお願いして、「子どもと地域を結ぶ体験学習-第3学年社会科『農家の仕事』から自らのあり方を考える子をめざして―」という原稿をかいてもらいました。
在学中も、独自の取材を通して卒論を書き上げた熱心な学生でしたが、教員となってからも学級運営や授業づくりに全力で取り組んでいる様子が伝わってきました。
まず授業のスタートが、「6月にたけのこの皮むきをすると聞いた時、誰がどこで採っているかを子どもたちに見せたいという思いが強く」なり、「たけのこを自分たちでむき、調理してもらったものを食べることで、何気なく食べている給食へ心をよせられるようになってほしいと考えた」という感性の豊かさに感動しました。
10月には「給食に使われている地場野菜を調べよう」と小松菜に注目させ、11月には畑の土に必要な堆肥がどのように作られているかを知るために牛舎の見学をしています。
最後に「ゲストティーチャーに聞こう」と7名の農家の方を招き、体育館でそれぞれのコーナーに分かれ、機械の使い方や種の様子、作業の苦労について質問させていました。
「体験学習」「人」「主体的な問題解決学習」がキーワードとなっていて、これらが調味料のようにバランスよく取り入れられていました。
最後に、学級運営で心がけていることとして、指導者の「こうなってほしい」という思いと子どもたちの「こうなりたい」という思いのバランスを考えること、筆者自身が農家の方と出会い、対話し、体験させてもらうことで生活に楽しみが生まれた、としていました。
それぞれ重みのある素晴らしい言葉であり、是非後輩に教職の素晴らしさを語って欲しい、とうれしく思いました。
卒業生の皆さんも、教職の授業実践を記録に残してみたい、または大学院に行って研究してみたいと思ったら、是非とも挑戦してください。私も応援します。(続く)
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◇ 教育徒然草 ◇
No.2 教科指導の質を高める
家政学部児童学科特任教授 稲葉 秀哉
ある教育雑誌を眺めていたとき、「脱教科主義」というタイトルの記事が興味を引きました。
新学習指導要領について「改訂を重ねるごとに増してきた教科の独自性に待ったをかけ、学問体系に裏打ちされた従来の教科内容(コンテンツ)中心のカリキュラムから、資質・能力(コンピテンシー)ベースのカリキュラムへと構造転換を図る。そのために教育目標・内容、指導方法、評価の在り方を三位一体で改革する――。それが改訂の肝であり総論だ。」「もはや教科主義・教科エゴは許されない。」という内容でした。
書店には「コンピテンシー・ベースの授業づくり」をテーマにした参考書が並んでいました。
従来の学習内容(コンテンツ)の習得を最優先にした学習指導には、「知識は単に教わっただけでは自在には活用されない」という課題があり、これからは「知識・技能に留めることなく、それらをはじめて出会う問題場面で自在に活用できる思考力・判断力・表現力等の汎用的(generic)認知スキルにまで高める」ような「資質・能力」(コンピテンシー)」を基盤にした教育、コンピテンシー・ベースの教育への転換が必要である、という内容のものでした。
確かに、新学習指導要領の「総則」では、「変化の激しい社会の中で、主体的に学んで必要な情報を判断し、よりよい人生や社会の在り方を考え、多様な人々と協働しながら問題を発見し解決していくために必要な力を生徒一人一人に育んでいく」ことが重要とされています。
そして、「変化の激しいこれからの社会で未知の状況にも対応できる汎用的な資質・能力としての「問題発見・解決能力」を育成するために、「各教科等の特質を生かし、教科等横断的な視点から教育課程の編成を図るものとする。」とされています。(「総則」(第2の2の(1)))
しかし、注意しなければならないのは、「教科横断的な視点からの教育課程の編成」は決して教科指導を軽視しているわけではないということです。先ほど紹介した参考書の中でも「各教科等の本質を見据え、そこをこそ拠点として質の高いコンテンツの指導を達成し、さらにそれを通して豊かなコンピテンシー の実現を目指していく」ことが大切だとしています。
「総則」における「各教科等の特質を生かし」という文言がポイントです。
「特質」とは、その教科ならではの特徴ですが、新学習指導要領では、各教科等の学習で育まれる、その教科特有の「汎用的な力」を重視しています。
例えば、数学科では、「事象を数量や図形及びそれらの関係などに着目して捉え、論理的、統合的・発展的に考える」力の育成を目指しています。この力が数学科で育成を目指す「汎用的な力」であり、それを身に付けることが数学の学習の本質であるとしています。そのことが「数学的な見方・考え方」において述べられています。数学科だけでなく、他の教科等でも同じです。
そして、教科等横断的な視点からの「横断的・総合的な学習」とは、各教科等で培った「汎用的な能力」を総合的に活用して問題解決を目指す学習ということです。それが「各教科等の特質を生かす」ということなのです。
今、「教科横断的な視点からの教育課程の編成」を校内研修のテーマにしている学校が増えているようです。「脱教科主義」や「コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへの教育の転換」など耳触りのよい言葉に惑わされず、教科指導の質を高めることの意味・意義の理解から着実に進めることが大切です。
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◇ 教育時事アラカルト 第81回 ◇
アレルギー情報の公表を考える
-プライバシーへの配慮-
教職教育開発センター教授 坂田 仰
2012(平成24)年12月、東京都下の公立小学校で、給食を食べた5年生の女子児童が死亡するという事故が発生した。
児童が乳製品に対する重篤な食物アレルギーを有していたにもかかわらず、担任教員が誤ってチーズを含むチヂミを食べさせたことが原因であったという。
この事件を教訓とし、現在、学校現場では、保護者等からの聞き取りを強化し、学校給食や校外学習等の実施に際して、特別の配慮を行っている。
それでもリスクをゼロにすることは出来ない。
学校側としては、アレルギー事故は必ず発生するという前提に立ち、子ども同士で注意し合える力を育むことに注力することになる。
だが、そこには別のリスクが潜んでいる。特別な配慮や注意し合う体制を構築する前提、アレルギー情報の公表に潜むリスク、個人情報の漏洩、プライバシー権の侵害の可能性である。
例えば、茨城県下の公立小学校において、食物アレルギーを有する児童への配慮から、実名を上げて卒業を祝う会における飲食の中止を求めたことの適否が争われたことがある(水戸地方裁判所土浦支部判決平成14年3月12日)。
事実認定によれば、児童とその保護者は、入学以来努力を重ね、周りの協力の下、食事を伴う行事にも積極的に参加し、行事における飲食が一度も中止になったことがなかったという。
これを前提に判決は、児童の「名誉(社会的評価)を害するような発言をしないよう注意すべき義務がある」とし、「必ずしも『卒業を祝う会』における飲食自体を中止する必要はなく、これまでの学校行事における取扱いと同じく〔当該児童〕に摂取可能な飲食物を持参させたり、あるいは、〔当該児童〕も摂取可能な飲料だけを提供するなどの代替手段がある」ことを指摘して、学校側が一方的に情報を公表したことに「注意義務を怠った過失」があったと結論づけている。
改めて指摘するまでもなく、学校側の中止要請は、児童に対する配慮を願い、「よかれと思って」行ったものである。にもかかわらず学校側が敗訴した。まさに「あちら立てればこちら立たず」の状況と言える。
個人情報の公表にあたっては必ず個別に確認を取る。価値観の多様化した現在、「よかれと思って」という善意だけでは必ずしも学校家運営は成立しないことに留意する必要があろう。