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(1) 所長だより
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◇◆ 所長だより ◆◇
コロナ禍下で「対面」を考える
教職教育開発センター所長 清水 睦美
新型コロナウイルスの感染の影響が、教育現場に及んで早くも1年以上がたちます。感染拡大は今だ収まる様子がなく、第4波の真っただ中です。
大学構内も、4月当初は賑わって華やいだ感じがありましたが、東京都の緊急事態宣言を受けて、学生の姿はあるものの、「対面」の場面が減っていることを感じさせるキャンパスとなっています。
コロナ禍によって、子どもたちに関わる「対面」状況は大きく変わったと感じます。朝の電車の中で、通学途中の子どもたちのはしゃぐ様をみることは減り、電車を使ったダイナミックなかくれんぼなどは、本当に見なくなりました。
マスクの着用により、子どもたちの口元から表情を読み取り、かれらの考えていることを想像することに難しさを感じるようになりました。さらに、オンラインで整えられる学習環境は、習得すべき内容の提供はできるものの、画面の向こうの子どもたちの理解やつまずきを知ることは難しく、それに応じた授業展開を難しくしています。
そして、対面で子どもたちと向き合った時、かれらの声が以前よりずっとずっと小さくなっていて、子どもたちも思っていること、考えていることを外に出すことが難しくなっているようにも感じます。
今、ここでは、小中学生などの子どもたちをイメージするように書いたのですが、この姿は実は大学生にもあてはまります。
今年入学した1年生は、教室のなかでの声がとても小さい気がします。グループワークでも学生たちの距離がなかなか縮まらないのか、これまでだったら、学生同士で解決したであろう問題を、授業後に「先生…」と声をかけてくる学生が多いような気がします。
かれらは、どこか自信がなく、不安そうにしているのは、対面での経験の不足なのかもしれないと思ったりします。確かに、今の4年生は、2年間対面、1年間遠隔という経験をした学生たちですが、口を揃えて「絶対に対面がいい」といいます。理由を聞けば「情報が減る」といいます。同じ場を共有する「対面」の方が、意識するしないにかかわらず、そこにあるさまざまな事柄が、かれらにとって情報として引き受けられていくのでしょう。
当たり前だった「対面」から、「対面」の意義を見いだす必要がある社会への変化のなかにいながら、私たちはこの変化をどのように捉える必要があるのか、あらためて考える必要がありそうです。