カモミールnetマガジン

2021年8月号

◇◆ 目次 ◆◇ ——————————————————————

(1) 所長だより
(2) 教育時事アラカルト

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◇◆ 所長だより ◆◇

矛盾の夏
           教職教育開発センター所長  清水 睦美

   教員採用試験まっただ中、一次試験が振るわなかった学生の進路の相談に乗ったり、二次試験に向けて極度に緊張している学生に「ありのままで大丈夫」と気持ちを落ち着かせたりと、学生たちのことを心配する「夏」ではあるのですが、「夏」にひときわ深く考えるのは「戦争」のことです。
 8月6日、9日、15日は特別な日で、この日を通して戦争の加害・被害の歴史に関わる知識を積み重ねてきました。そして、どのような理由であれ「戦争」はしてはならないという信条をもつに至っています。しかし、今年の夏は「戦争」という主題をじっくり考えられないくらい、目の前に広がる「矛盾」にいたたまれなさを感じる夏になっています。

 一つは「新型コロナウイルスの感染爆発」です。検査体制の拡充や医療体制の再構築が整わず、「自粛」だけが呼びかけられているように感じます。「採用試験対策は不要不急か」「集団面接の練習は『密』ではないのか」などなど、一つひとつのことに根拠をもって判断することが求められ、「学生の将来に向けた手助けをする」という本来の仕事に全力を注ぎたいのに……と思います。既にコロナ禍が始まって1年半がたつのに、私たち個人に求められる行動規制や判断は、以前と全く変わらないというこの矛盾にいたたまれなさを感じます。

 もう一つは言わずもがなの「東京オリンピック」で、これは表の世界と裏の世界がはっきりとさらけ出されて、見ている者の気持ちが極端に切り裂かれたイベントだったと思います。
 表のスポーツの世界は予想通りに素晴らしいもので、選手同士がお互いをリスペクトする様子からは、スポーツの「競争」「戦い」という側面より「楽しさ」「チャレンジ」が強調されていたように感じました。
 それに比べて、裏の世界は本当にひどいものでした。教育の観点からみても、女性蔑視発言や人権に関わる問題は見逃せるものではありません。オリンピックが「裏」なしに成り立たないとすれば、私たちは「表」だけを子ども達に伝えるだけでよいのでしょうか。この矛盾にもいたたまれなさを感じます。

 そして最後にもう一つ、「線状降水帯」です。
 聞き慣れない言葉でしたが、今や異常気象の代名詞のようで想像もできない被害をもたらしています。環境問題への取り組みも、待ったなしだと思います。
 他方で熱海の土砂崩れの映像には原因になった違法な盛土の上に広大な太陽光パネルが並んでいました。今や太陽光発電は土地の有効活用による儲け話として宣伝され、森が伐採されているのをよくみかけます。
 木が切られることで森は保水力をなくし、雨水が違法な盛土に流れ込んだとも考えられます。地球温暖化→カーボンニュートラル→太陽光発電……と筋書きはきれいに整っているのですが、そこには大きな矛盾があるように思います。教育に関わる者として、子ども達のこの矛盾をどのように伝えていけばいいのでしょうか。ここにもいたたまれなさを感じます。

 矛盾の夏。私たちはきっと岐路に立っているのでしょう。この先の未来を、子ども達に託せるように、これらの矛盾を、教育の在り方を問い直す契機としてしっかり考えていきたいと思います。

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◇◆ 教育時事アラカルト ◆◇

担任教員の言動と損害賠償責任
           教職教育開発センター教授  坂田 仰

   学校に在籍する子どもにとって、担任教員は大きな影響力を有している。授業はもとより、学芸会や体育祭等、学校生活の多くを取り仕切る存在である。
 その担任教員から、体罰を受け、暴言を浴びせられる。子どもにとっては耐えがたい苦痛と言える。
 マスメディアによれば、たとえば熊本市では、中学校の女性教員が、担任する生徒を叱責した際、涙を浮かべていた生徒に向かって、むかつくと発言し問題となっている。

 担任教員の暴言は既に訴訟の場でも争われている。
 埼玉県下の公立小学校で起きた「担任教員いじめ損害賠償訴訟」もその一つである(さいたま地方裁判所判決平成17年4月15日)。
 担任教員は、「そんなぶすくれた顔は見たくないから見せないでくれ。」、「どうしてそんなに暗くなったの。」、「私は(被害者を除く)36人の子どもだけ見てればいいんだから。」等といった暴言を繰り返していたという。被害児童は、卒業後、担任教員やそれに起因する周囲の児童の言動によってPTSD(外傷性ストレス性障害)に罹患したとし、卒業後、損害賠償を求める訴訟を提起している。

 担任教員の言動について判決は、担任教員の言動を「いじめ」と認定した。そして、いじめは、公権力の行使に当たる公務員である担任教員が、その職務を行うについて、故意に、児童に加えられた違法な行為であり、学校設置者である市は、国家賠償法1条1項に基づき、児童が被った損害を賠償すべき責任を負うべきとし、100万円の損害賠償を命じている。

 この100万円という金額については賛否が分かれると思われる。ただ、小学校における担任教員と児童の力関係は、中学校、高等学校とは比較にならないほど、前者が後者を圧倒している。極端な言い方をすれば、担任教員が、児童の生殺与奪の権限を握っているといっても過言ではない。それ故、一般社会においては許容される程度のものであったとしても、こと担任教員の言動に限っては、不法行為を形成すると見なされる可能性があることに注意を払う必要があろう。