+‥【目次】‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
(1)目白が丘だより
(2)「卒業生ネットワーク」拡充に向けて
(3)卒業生発 リレーエッセイ
(4)研究・教育の現場から
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□■– 目白が丘だより ————■□
<<モンスターペアレント訴訟を考える >>
教職教育開発センター教授 坂田 仰
いわゆる“モンスターペアレント”の行動がますますエスカレートしている。自らの考えに固執し、それを学校、教員が受け容れるまで執拗に抗議を繰り返す。対応にあたる教員はまさにサンドバッグ状態。4月に採用された教員がゴールデンウィーク明けには退職するといった話さえ耳にする。教員にとってまさに受難の時代である。
では、学校、教員はサンドバッグ状態を甘受しなければならないのか。まだ少数ではあるが、「それはあまりにも理不尽、反撃すべきだ」という声も存在している。神奈川モンスターペアレント訴訟が一例である(横浜地方裁判所判決平成26年10月17日)。保護者が教育委員会に対し名誉を侵害する発言をしたり、教室において暴行を加えられたりしたことにより抑鬱状態になったとし、担任教員が損害賠償の支払いを求めて提訴した事案である。
判決は、教員と保護者の関係性を以下のように捉え、訴えの一部を認めている。
小学校の教育においては、学校、教員、保護者のそれぞれが、子どもの教育の結果に利害と関心をもち、教員の指導方法を含めた教育の内容、方法等につき関心を抱くのであって、それぞれの立場から教育の内容及び方法等の決定、実施に対し意見を述べ合いながら協力していくことが自然かつ必要不可欠である。
それ故、保護者が、学級担任の自己の子どもに対する指導方法に要望を出したり、批判したりすることは、当然許される。教員は、できる限り保護者の要望又は批判に耳を傾け、これを受け止めるよう努力すべきであり、その内容が教員としての能力や指導方法に関する批判や非難に及ぶことがあったとしても、直ちに損害賠償の支払い対象となるような違法性があるということはできない。しかし、要望や批判、非難が、教員に対する人格攻撃に及ぶなど上記目的による批判ないし非難を超えて、受忍すべき限度を超えたものである場合には、人格的利益である名誉感情を毀損するものとして違法となる。
判決の考え方を前提とすると、教員と保護者の関係は協働を基礎としている。建設的な批判は認められるべきだが、それは決して一方通行であってはならない。子どもの利益を念頭に置いた対話が求められ、度を超した一方的な批判に対しては訴訟による反論も肯定される場合があり得ることになる。
□■– 「卒業生ネットワーク」拡充に向けて ————■□
<< 「公開講座」で学生と卒業生との懇談会を開催 >>
教職教育開発センター
センターは3月16日(土)、公開講座「教員採用試験入門-教職を志す皆さんへ-」を開催しました。長年にわたり高校及び県教育委員会で活躍された中村千浩氏(国文学科卒)を講師にお招きし、「これからの学校で活躍する若い教師たちへの期待」をテーマに講演していただいた後、講座後半は「学生と卒業生との懇談会」を行いました。
「懇談会」には主に今夏に教員採用試験を受験する3年生と2年生が参加しましたが、試験準備の方法や学校の様子等を卒業生に直接尋ねることができて、教職へのモチベーションも上がった様子が伺えました。卒業生の皆さんにとっても、若い世代の”不安”や”本音”を知る機会となったようです。
また、「公開講座」終了後は卒業生とセンター教職員との「卒業生懇談会」も行いました。懇談会における学生とのやり取りを共有しながら、今後のセンター事業に関するご意見もいただきました。
□■–卒業生発 リレーエッセイ–■□
<<1日が私だけ26時間あったらいいのに>>
飯塚晃代(佐野日本大学短期大学教授、栃木県立佐野東高等学校前校長、
家政学部被服学科 1985卒業年3月卒業)
これを読んでくださる方の中には、卒業式を終えいよいよ社会人として桜楓の目白の園を巣立つ方々もいらっしゃると思います。まずは、卒業おめでとうございます。
私は昨年3月に栃木県にて県立高校校長職を最後に定年退職し、現在は地元佐野の短大で服飾関係の科目を教えております。時間に追われつつも1時間1時間の講義を計画し実践した先に、懸命に取り組む学生の姿や輝く目を見た時の喜びは大きく、次はどんな“手”でいこうかと想像してしまいます。そんな毎日を再び楽しんで送っています。
38年間の教員生活でいつも感じていたことは、
「1日が私だけ26時間あったらいいのに」
ということでした。特に二人の息子たちが小さかった頃は、一層強くそう感じていました。こだわりだすととことん納得のいくまで取り組む性分は、時に自分を苦しめ家族に負担をかけることもあったと思います。どんな仕事も同様のことがいえると思いますが、特に教職は取り組み方次第で大きく仕事量は違ってきます。仕事の質は落としたくないけれど、時間を上手に使う方法について、私のつたない経験からですがお話します。
まず、
「仕事は120%完成するまで手元に置かず、70%でまずだれかに見てもらうこと」
そうすれば、軌道修正するのも楽ですし、助言によりさらによい仕上がりになるはずです。一人で抱えずSOSをだせば、手を差し伸べてくれる先輩や同僚がいるはずです。
それでは次に、だれにでも同じく与えられた時間をいかに効率よく使うかということについてお話します。時間の管理というのはいってみれば命の管理ともいえます。時間の使い方がうまい人は命の管理がうまいといえるのではないでしょうか。そこで、まず、やるべきことに優先順位をつけられるかどうかは、重要なポイントです。時間管理のコツはまず、「見える化」することです。
一つの方法ですが、
まず最初に、
①やらなければならないことを書き出す。
次に、
② ①に優先順位をつける。
<方法>緊急性を縦軸、重要性を横軸にすると、4つの枠ができます。
・右上:緊急かつ重要なこと→すぐに取り掛かるべきところ
・右下:緊急ではないが重要→時間をかけてじっくり取り掛かるとよいこと
・左上:重要でないが緊急性が高い→短い時間で済ませるとよいこと
・左下:緊急でも重要でもないがやらなければならない→すき間の時間でやること
③それぞれに期限を決める。
④スケジュールに落とし込む。
仕事ってこんなに忙しいのと思われてしまったかもしれません。しかし、その仕事の向こうには子供たちがいます。教科指導以外の仕事もたくさんあると思いますが、そのすべては子供たちのためにやるものであり、子供を常に中心に据えて物事を判断していくことが大切です。
中でも教科を中心とした授業の指導は教員の要となる仕事であり、最優先の仕事です。同じ指導案で授業をしても教師によって子供が受け取るものは変わります。教材研究は常に重要性の高い位置におくことが大切です。子供たちの「わかった」「楽しい」「もっと知りたい」という時の目の輝きや表情は、教員だからこそ見られるものです。そんな輝く目を見ると、疲れも忙しさも忘れてしまうのではないでしょうか。
□■– 研究・教育の現場から ————■□
<<道徳性の発達を踏まえた多様な指導方法を>>
教育学科特任教授 松尾 廣文
人間がこの世に生まれて後、様々な経験、学習により、道徳性は伸長していくとの考えから、今日の道徳教育は行われています。
道徳性については、「小学校学習指導要領解説特別の教科道徳編」では、「道徳性とは,人間としてよりよく生きようとする人格的特性であり、道徳性を構成する諸要素である道徳的判断力、道徳的心情、道徳的実践意欲と態度を養うことを求めている。」(P.20)と述べています。
歴代の学習指導要領では、構成要素の解釈、順番等の差異はあるものの道徳性を概ね判断、心情、意欲、態度等で説明を試みています。
一方、デューイ(J・Dewey)は、教育の目的は成長・発達であり、道徳的には、前慣習的段階、慣習的段階、自律的段階の過程をたどると考えました。
ピアジェ(J・Piaget)は、人間のもつものの見方や考え方に質的な違いが認められることやある年齢、時期に特有な思考があることに着目し、4歳から12歳の子どもが規則をどう考えるかを分析し、道徳性の発達を考察しました。その道筋は、大人による拘束という他律のステージから、自他の尊重に基づく協同的な社会関係を構築する自律への過程と定義をし、自己中心的な段階から集団のルール・規則を制定するまでの4段階の成長を考察しました。
コールバーグ(L・Kohlberg)は、道徳性の発達は一般的な知的発達と同様に起こるとし、多くの国、地域の人々からデータを収集し、分析し、デューイの道徳性の発達水準をベースに据え、他律から自律に至るピアジェの段階に新たな段階を加えた他律から自律に至る三水準六段階からなる道徳性発達段階を提唱しました。
コールバーグの主張する認知発達理論では、何か道徳的に解決できない状態に置かれたとき、人の認知は安定感を欠き、その状態の解決を果たすために、人は同化と調節機能を働かせるというもので、モラルジレンマを活用した指導方法にも踏み込んでいます。
道徳は「特別の教科」となり、各校で児童。生徒が道徳性を養うことを目指し、活発な授業研究が行われていると思います。道徳性発達に関する様々な捉えを踏まえ、多様な指導方法が開花されることを期待しています。